校歌の作者発見、作詞者の娘さんが来校【その1:経緯】
昨年度、長い間不明だった校歌の作者が63年ぶりに発見されました。そのことは、新聞の記事にもしていただきました。見ていただいた方もたくさんいらっしゃると思います。
発見につながったきっかけは、小阪圭一さんにお世話になり、140周年を記念してみんなで撮った航空写真。この写真をクリアファイルにしたい、裏面には、大河内の美しい景色と校歌を載せたい、という思いからでした。
学校に残されている古い資料やアルバム、体育館に飾ってある校歌など、たくさん探しましたが、作者につながるものがどこにもなく、途方に暮れそうになりました。
そんな時、ふと、地域の方に聞けば、わかるかもしれない!と思い、林業出前授業の打ち合わせに来られた川井逸夫さんに尋ねました。すると、なんと「ぼくらが5年生の時につくりましたよ」というお話がきけたのです。その後、CSでお世話になっている堀田利彦さんにこのことを伝えると、当時の音楽の先生が近くにお住まいだから、と、作曲者を学校に連れてきてくださったのです。
そして判明!
1961年(昭和36年)に、当時の松田幸次校長に頼まれて、作詞を山本薫先生、作曲を中山美智子先生が担当されて現在の校歌が完成したとのことでした。お二人は大きな仕事をさせてもらったけれど、専門家ではないので、子どもたちには絶対に内緒にしてほしいと言われ、その約束が現在まで63年もずっと守られていたことが分かったのです。
このことは、令和6年12月23日の冬休み前集会の校長からの話のときに、「校長先生のおかわち探求学習」と称して、子どもたちに話しました。私としましては、作者が判明したことだけでもうれしかったのですが、それを1月に新聞の記事にもしていただき、人のつながりの温かさを感じた出来事となっています。
完成したクリアファイルです↑